清原選手が

2004年6月4日 スポーツ
2000本安打を達成した。まずはおめでとうございますってところだけど高校時代から彼のプレーを見ていたがなんとも複雑な気分である。

甲子園での大活躍で怪物の名を欲しいままにし野球ファンはもとより日本中の関心を集めたスーパースター。
ドラフトで巨人に裏切られて西武入りしプロ初ヒットをホームランで飾り常勝西武の4番バッターとして活躍し新人最多本塁打記録に並ぶ31本塁打(高卒新人としては新記録)を打ち西武の日本一に貢献。
巨人との日本シリーズで日本一目前に感極まって涙する姿は多くのファンの心を打った。
実力で自分を裏切った巨人を倒し新世代のスーパースターへの道を駆け上ると誰もが信じて疑わなかった。
その後も平沼からのデットボールに憤慨し暴行を加え退場になったり女性関係のスキャンダルも多かったけどそれなりの好成績を残していたのはご愛嬌だが序々に雲行きがおかしくなって行く。
チームバッティングに徹しあまり無茶をしなくなり怪物から好選手になっていったのだ。
当時の西武の森監督からの評価は高かったがファンからは打撃タイトルの無い清原に不満の声が出始めていた、最初は無冠の帝王なんて呼ばれていたが徐々に清原はホントはそんなに凄い選手では無いという声も出始めていた。
野茂・伊良部などの本格派投手との名勝負もあったが徐々に成績が下降していき西武の黄金時代の主力選手の引退や移籍でチーム力が落ちだすにつれ清原に対する風当たりが強くなって言った。

彼だったら打撃タイトルの獲得は当たり前、最年少の三冠王も夢じゃ無いと誰もが信じていたと思うが実際には打撃タイトルはゼロ。
もちろん同時期に秋山・デストラーデ・ブライアント球史に残る名選手と高レベルで争っていたので仕方が無い部分もあるけど清原の器用貧乏さが目立ちヒットはいいからホームラン狙えよって思う事が多くファンがフラストレーションを溜めた。
’93シーズン以降は成績が下降線を描き’95シーズンは本当に酷い成績だった。

その後FA権を取得し巨人へ行きさらに辛酸を舐めたし体もボロボロで恐らく引退するまで打撃タイトルを獲らないまま引退するだろう。あれだけの好成績を残しチームバッティングに徹しても一度もMVPに選ばれなかったのは不運。
彼が今日までに残してきた成績は素晴らしいのだが19年前に想像した姿と現在のギャップを考えると…。

昔プロ野球界を背負う怪物と呼ばれた男が今じゃ巨人の番長ってえらい格下げだな。
残された選手寿命は長く無いが悔いが残らないように精一杯プレーして燃え尽きて欲しい。

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