今期参加しているPOGの主催者のやぎさんから再びバトンが回ってきました。
?ブックマークにおける競馬サイトの割合
約2%
?今もっとも好きな騎手、調教師など
騎手:武豊、後藤
調教師:伊藤雄、白井w
?最後に勝った馬券
覚えてない位前w
?忘れられない5頭()内は主な獲得タイトル
●ウイニングチケット 14戦6勝(ダービー、弥生賞、京都新聞杯)
基本的に派手な勝ち方をする馬が好きなんですよ。
弥生賞、ダービー、京都新聞杯いずれもド派手な勝ち方した。
実力的にはビワハヤヒデの方が上だったけどダービーは運の良い馬が勝つという格言通りの運の良い馬だった。
4歳(現3歳)時のジャパンカップ(以後JC)3着が最後の見せ場で古馬になってからは完全に期待ハズレでした。(3戦未勝利2着1回)
ライバルのビワハヤヒデとは6回対戦し先着出来たのはダービーの1回だけ…やっぱ運が強い馬だったw
種牡馬としてはビワハヤヒデに完勝、ビワハヤヒデが酷過ぎるだけなんだけどねw
●ナリタブライアン 21戦12勝(クラシック三冠、有馬記念、朝日杯3歳S)
俺が初めて生でみた三冠馬。
1世代上の半兄にビワハヤヒデがおり、ド派手なレースとシャドールで一世風靡し社会現象にもなった。
クラシックではトータル15身半もの大差を付けタイムもレコード記録(皐月賞・菊花賞)を出すなど優秀だった。
有馬記念で古馬と対戦するも大楽勝でその年の年度代表馬に選ばれた。
5歳(現4歳)緒戦の阪神大賞典を7馬身差で制したものの天皇賞(春)直前に股関節炎を発症し休養に入る。
その年の秋、ぶっつけで臨んだ天皇賞(秋)で1番人気に推されるもまさかの12着惨敗。
惨敗は休養明けの所為だと誰もが思ったが、続くJCでも6着と掲示板にも載れない惨敗。
次走有馬記念ではその年の菊花賞でブライアンのレコード記録を更新して勝ったマヤノトップガンに1番人気を奪われレースでも4着(勝ったのはマヤノトップガン)に敗れた。
6歳(現5歳)緒戦では前年圧勝した阪神大賞典で前年度の年度代表馬のマヤノトップガンと再戦しハナ差で辛勝。
歴史的名勝負という人もいるが、全盛期のブライアンを知る者としては故障前のブライアンなら競り合うまでも無く勝っていたと思う。(流石に何馬身も離せるとは思わんが…)
次走の天皇賞(春)では再度マヤノトップガンを下したもののサクラローレルに2馬身半差の2着。
通常なら次走は春のグランプリ宝塚記念のはずだったが、この年からレース体系が大幅改変され前年まで2000mで開催されていた高松宮杯(現・高松宮記念)が1200mのG1レースなった目玉として、とても適鞍とは思えないのに出走し4着に敗れたあと屈腱炎を発症し引退。
結局、古馬になってからのG1勝ちがないまま引退し種牡馬入り。
種牡馬入り後に胃破裂で安楽死処分になり僅か2世代しか残せなかった。
●ロイヤルタッチ 15戦3勝(ラジオたんぱ杯、きさらぎ賞)
ウイニングチケットの半弟、馬体はチケットと違い牝馬のようだったけど、チケットの弟って事でデビュー時から応援していました。
新馬戦を順当勝ちしたあとに2戦目にしてイキナリ重賞レースであるラジオたんぱ杯に出走し見事に優勝するもデビュー戦の鞍上だった武豊はロイヤルタッチと同日デビューし勝ち上がっていたオークス馬ダンスパートナーの全弟ダンスインザダーク騎乗を選択していた…この時点で明暗が分かれていたのかもしれない。
4歳(現3歳)緒戦のきさらぎ賞で再びダンスインザダークと対戦するも返り討ちにして優勝。
でもラジオたんぱ杯で4馬身差あった着差はクビ差にまで縮まっていた。
何はともあれ3連勝を飾り一躍クラシックの主役に躍り出たロイヤルタッチだが次走の若葉Sでミナモトマリノスにまさかの敗戦。
もっとも敗戦理由はドロドロの不良馬場だったと判断されたので評価自体は落ちなかったが弥生賞を順当勝ちしたダンスインザダークの評価の方がこの時点で上回っていた。
しかしクラシック第1弾の皐月賞本番で1番人気に推されたのはロイヤルタッチだった。
ダンスインザダークが皐月賞直前に熱発で出走回避したため。
誰もがロイヤルタッチの勝利を疑わなかったが結果はイシノサンデーの2着。
ダービーではプリンシパルSを完勝しダービー出走にこぎつけたダンスインザダークに次ぐ2番人気で出走も4着に敗れた(勝ち馬はフサイチコンコルドでダンスは2着)
秋の菊花賞に向けての復帰戦で古馬と一緒に走った函館記念で1番人気になるも6着、菊花賞前哨戦の京都新聞杯は2番人気でダンスインザダークの2着。
菊花賞本番では直線でフサイチコンコルド競り落とし勝つのはロイヤルタッチと誰も思った瞬間、道中不利を受けて馬群に沈んだはずのダンスインザダークの上がり3F33秒8の鬼脚強襲に屈しまさかの2着…千載一遇のチャンスをモノにした兄と違い絶好のチャンスを逃したロイヤルタッチはその後もソコソコの活躍をするも2度と勝利を掴む事なく引退し種牡馬入りするもコレといった代表産駒は居ない。
(因みにダンスインザダークは菊花賞での激走が祟り3日後に屈腱炎を発症し引退し種牡馬入りし3頭のG1馬を輩出し父SS最良の後継種牡馬と目されている)
尚、同馬の名前でグーグル検索すると大人のオモチャの方が上位で検出されます…orz
●トウカイテイオー 12戦9勝(ジャパンカップ、有馬記念、ダービー、皐月賞)
この馬もド派手な馬でした。
無敗で三冠馬に輝きG1 7勝の史上最強馬シンボリルドルフの初年度産駒。
無敗で皐月賞とダービーを完勝し父と以来の無敗の三冠馬誕生を期待されるもダービー後に骨折が判明し秋は全休で三冠の夢は絶たれた。
年が明け復帰戦の大阪杯で安田騎手から父ルドルフの主戦騎手だった名手岡部騎手に乗り替わり見事勝利で復活。
7戦全勝で当時の王者メジロマックイーン(鞍上は武豊)に天皇賞(春)で挑戦するも5着と惨敗。
しかしレース後に骨折が判明し敗戦は距離が合わなかった上に故障も影響したのだろうと思われたが、秋の復帰戦だった天皇賞(秋)で再び7着惨敗。
デビューから全戦1番人気だったのに次走のJCで5番人気だったのが周囲のテイオーの評価の下落を物語っていた。
しかしレースでは父ルドルフ以来の日本馬優勝を飾る。
次走の有馬記念では再度1番人気に推されるも虫下しをしたりして体調が悪かったり、鞍上岡部が騎乗停止で田原騎手に乗り変わったりと不運続きで11着と初めての2桁着順で敗れ去った。
現役続行が決まったものの骨折等で復帰できたのは翌年の有馬記念。
1年ぶりの復帰、主戦騎手だった岡部騎手はビワハヤヒデ騎乗を選択した事もあり周囲は入着出来れば御の字と思っていたが、実際には最後の直線でビワハヤヒデを競り落とし見事優勝した。
そこで引退すりゃいいのに翌年も現役続行、しかし脚部不安で1度も出走せずに引退種牡馬入り。
トウカイポイントが安田記念、ヤマニンシュクルが阪神JFを制するなど父内国産種牡馬としては好成績を残している。
トウカイポイントが煽馬だったので後継種牡馬はまだ居ないのでなんとかもう一踏ん張りして後継馬、できればダービー親子3代制覇を期待。
●フサイチジャンク 現在未出走
コレから忘れられない競走馬になる予定w
?ブックマークにおける競馬サイトの割合
約2%
?今もっとも好きな騎手、調教師など
騎手:武豊、後藤
調教師:伊藤雄、白井w
?最後に勝った馬券
覚えてない位前w
?忘れられない5頭()内は主な獲得タイトル
●ウイニングチケット 14戦6勝(ダービー、弥生賞、京都新聞杯)
基本的に派手な勝ち方をする馬が好きなんですよ。
弥生賞、ダービー、京都新聞杯いずれもド派手な勝ち方した。
実力的にはビワハヤヒデの方が上だったけどダービーは運の良い馬が勝つという格言通りの運の良い馬だった。
4歳(現3歳)時のジャパンカップ(以後JC)3着が最後の見せ場で古馬になってからは完全に期待ハズレでした。(3戦未勝利2着1回)
ライバルのビワハヤヒデとは6回対戦し先着出来たのはダービーの1回だけ…やっぱ運が強い馬だったw
種牡馬としてはビワハヤヒデに完勝、ビワハヤヒデが酷過ぎるだけなんだけどねw
●ナリタブライアン 21戦12勝(クラシック三冠、有馬記念、朝日杯3歳S)
俺が初めて生でみた三冠馬。
1世代上の半兄にビワハヤヒデがおり、ド派手なレースとシャドールで一世風靡し社会現象にもなった。
クラシックではトータル15身半もの大差を付けタイムもレコード記録(皐月賞・菊花賞)を出すなど優秀だった。
有馬記念で古馬と対戦するも大楽勝でその年の年度代表馬に選ばれた。
5歳(現4歳)緒戦の阪神大賞典を7馬身差で制したものの天皇賞(春)直前に股関節炎を発症し休養に入る。
その年の秋、ぶっつけで臨んだ天皇賞(秋)で1番人気に推されるもまさかの12着惨敗。
惨敗は休養明けの所為だと誰もが思ったが、続くJCでも6着と掲示板にも載れない惨敗。
次走有馬記念ではその年の菊花賞でブライアンのレコード記録を更新して勝ったマヤノトップガンに1番人気を奪われレースでも4着(勝ったのはマヤノトップガン)に敗れた。
6歳(現5歳)緒戦では前年圧勝した阪神大賞典で前年度の年度代表馬のマヤノトップガンと再戦しハナ差で辛勝。
歴史的名勝負という人もいるが、全盛期のブライアンを知る者としては故障前のブライアンなら競り合うまでも無く勝っていたと思う。(流石に何馬身も離せるとは思わんが…)
次走の天皇賞(春)では再度マヤノトップガンを下したもののサクラローレルに2馬身半差の2着。
通常なら次走は春のグランプリ宝塚記念のはずだったが、この年からレース体系が大幅改変され前年まで2000mで開催されていた高松宮杯(現・高松宮記念)が1200mのG1レースなった目玉として、とても適鞍とは思えないのに出走し4着に敗れたあと屈腱炎を発症し引退。
結局、古馬になってからのG1勝ちがないまま引退し種牡馬入り。
種牡馬入り後に胃破裂で安楽死処分になり僅か2世代しか残せなかった。
●ロイヤルタッチ 15戦3勝(ラジオたんぱ杯、きさらぎ賞)
ウイニングチケットの半弟、馬体はチケットと違い牝馬のようだったけど、チケットの弟って事でデビュー時から応援していました。
新馬戦を順当勝ちしたあとに2戦目にしてイキナリ重賞レースであるラジオたんぱ杯に出走し見事に優勝するもデビュー戦の鞍上だった武豊はロイヤルタッチと同日デビューし勝ち上がっていたオークス馬ダンスパートナーの全弟ダンスインザダーク騎乗を選択していた…この時点で明暗が分かれていたのかもしれない。
4歳(現3歳)緒戦のきさらぎ賞で再びダンスインザダークと対戦するも返り討ちにして優勝。
でもラジオたんぱ杯で4馬身差あった着差はクビ差にまで縮まっていた。
何はともあれ3連勝を飾り一躍クラシックの主役に躍り出たロイヤルタッチだが次走の若葉Sでミナモトマリノスにまさかの敗戦。
もっとも敗戦理由はドロドロの不良馬場だったと判断されたので評価自体は落ちなかったが弥生賞を順当勝ちしたダンスインザダークの評価の方がこの時点で上回っていた。
しかしクラシック第1弾の皐月賞本番で1番人気に推されたのはロイヤルタッチだった。
ダンスインザダークが皐月賞直前に熱発で出走回避したため。
誰もがロイヤルタッチの勝利を疑わなかったが結果はイシノサンデーの2着。
ダービーではプリンシパルSを完勝しダービー出走にこぎつけたダンスインザダークに次ぐ2番人気で出走も4着に敗れた(勝ち馬はフサイチコンコルドでダンスは2着)
秋の菊花賞に向けての復帰戦で古馬と一緒に走った函館記念で1番人気になるも6着、菊花賞前哨戦の京都新聞杯は2番人気でダンスインザダークの2着。
菊花賞本番では直線でフサイチコンコルド競り落とし勝つのはロイヤルタッチと誰も思った瞬間、道中不利を受けて馬群に沈んだはずのダンスインザダークの上がり3F33秒8の鬼脚強襲に屈しまさかの2着…千載一遇のチャンスをモノにした兄と違い絶好のチャンスを逃したロイヤルタッチはその後もソコソコの活躍をするも2度と勝利を掴む事なく引退し種牡馬入りするもコレといった代表産駒は居ない。
(因みにダンスインザダークは菊花賞での激走が祟り3日後に屈腱炎を発症し引退し種牡馬入りし3頭のG1馬を輩出し父SS最良の後継種牡馬と目されている)
尚、同馬の名前でグーグル検索すると大人のオモチャの方が上位で検出されます…orz
●トウカイテイオー 12戦9勝(ジャパンカップ、有馬記念、ダービー、皐月賞)
この馬もド派手な馬でした。
無敗で三冠馬に輝きG1 7勝の史上最強馬シンボリルドルフの初年度産駒。
無敗で皐月賞とダービーを完勝し父と以来の無敗の三冠馬誕生を期待されるもダービー後に骨折が判明し秋は全休で三冠の夢は絶たれた。
年が明け復帰戦の大阪杯で安田騎手から父ルドルフの主戦騎手だった名手岡部騎手に乗り替わり見事勝利で復活。
7戦全勝で当時の王者メジロマックイーン(鞍上は武豊)に天皇賞(春)で挑戦するも5着と惨敗。
しかしレース後に骨折が判明し敗戦は距離が合わなかった上に故障も影響したのだろうと思われたが、秋の復帰戦だった天皇賞(秋)で再び7着惨敗。
デビューから全戦1番人気だったのに次走のJCで5番人気だったのが周囲のテイオーの評価の下落を物語っていた。
しかしレースでは父ルドルフ以来の日本馬優勝を飾る。
次走の有馬記念では再度1番人気に推されるも虫下しをしたりして体調が悪かったり、鞍上岡部が騎乗停止で田原騎手に乗り変わったりと不運続きで11着と初めての2桁着順で敗れ去った。
現役続行が決まったものの骨折等で復帰できたのは翌年の有馬記念。
1年ぶりの復帰、主戦騎手だった岡部騎手はビワハヤヒデ騎乗を選択した事もあり周囲は入着出来れば御の字と思っていたが、実際には最後の直線でビワハヤヒデを競り落とし見事優勝した。
そこで引退すりゃいいのに翌年も現役続行、しかし脚部不安で1度も出走せずに引退種牡馬入り。
トウカイポイントが安田記念、ヤマニンシュクルが阪神JFを制するなど父内国産種牡馬としては好成績を残している。
トウカイポイントが煽馬だったので後継種牡馬はまだ居ないのでなんとかもう一踏ん張りして後継馬、できればダービー親子3代制覇を期待。
●フサイチジャンク 現在未出走
コレから忘れられない競走馬になる予定w
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